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2023年01月

2023.01.19

水晶山開発の奨励

 水晶山開発の奨励
明治二年(一八六九)に新政府は、わが国の近代化を進めるにあたり、積極的に殖産興業に力を入れた。第一に地下資源の開発に目をむけることになり、同年二月、民間に鉱山開発を許可し試掘と売買を奨励した。水晶は幕末まで原石の採掘は許されず、かぎられた市場に出る製品は僅少であったが、新政府は試掘にあたって手当金の貸付までするようになった。
(一)御入用ノ儀ハ千両ニテモ弐千両ニテモ申出候ハハ御下ヶ相成候事
水晶山を開発するための資金を必要とするならば、申し出次第、千両でも二千両でもぐに下げ渡すという新政府の方針がうかがわれ、水晶抗之開発を刺激し、促進したことは言うまでもない。
明治三年には白須・大ヶ原村(白州町)横手村(白州町駒城)などから甲斐駒ケ岳の試掘の跡請があり、丹波山村(北都留郡)からも村内の泉水渓というところに水晶抗が見えたといい、新規百日間の試掘の願いが出されている。(『山梨県史』)
『甲斐国志』などに記載されている県内の水晶産地は前記の通りであるが、明治後も繁栄した山は金峰山周辺の水晶峠・倉沢山・向山・押出山・竹森山などであった。このほかに乙女鉱山(牧丘町)、八幡山(須玉町)、川端下(長野県・川上村)、市ノ瀬山(塩山市)、刑部平(同)、泉水渓(丹波山村)、船越(同)、鳳凰山麓獅子ノ木(武川)、駒ヶ岳(白州町)などの産地の名も上げられている。
しかし丹波山村では、明治三年(一八七〇)十二月から同四年三月まで試掘し、二回目を同年五月から八月まで。同四年十月から翌年正月まで三月にわたり較百日間ずつ延長承認で試掘したがついに水晶の生産は十分得ることなく終わっている。次々と大金を投入し、水晶山に対する投資は依然として盛んであったと『水晶宝飾史』に記されているが新規採掘は思うような成果を上げられなかったといわれている。
金峰山をめぐる各水晶鉱山の採掘最盛期には、御岳金桜神社の社領の住民たちは、米と味噌を背負って鉱山に分け入り、食料の続く限り幾日でも水晶の鉱筋を探し回った。幸いに一かま掘り当てれば連絡によって御岳や甲府から水晶の仲買人が集まり、市が立つほどで、これを目当てに臨時の飲食店や甲府から芸妓までが山に登ってきて大騒ぎの御岳にかわったといわれている。
乙女鉱山は、東山梨郡西保町(牧丘町)字北奥仙丈字倉沢。西山梨郡千代田村(甲府市)、および中巨摩郡宮本村黒平(甲府市)にわたる最も広大な水晶鉱山で、古来白色透明な良質の水晶を多く産出した鉱山であった。ことに透明な傾軸式双晶(写真参照)は、世界無比のものとして海外からも注目された。珍しい良品質の原石が産出されたので往来もはげしく奥山にしてはにぎわいをみせたという。
山梨県以外の国内水晶原石の主産地
(1)滋賀県の田の上山坑、苗木抗より煙水晶
(2)宮城県の小原抗より紫水晶
(3)鳥取県の藤屋抗より紫水晶
(4)福岡県の合戸抗より紅水晶
(5)秋田県の荒川鉱山より冠水晶
(6)新潟県の相川鉱山より水入水晶
等が主な産地として知られるところであるが、いずれも明治四十二年(一九〇九)から大正六年(一九一七)ごろにはほとんど採石はなく約十五年くらいで掘りつくされたという。大正になって山梨県も外国産の水晶を輸入しその需要に当てるようになった。

2023.01.05

山梨の水晶産地

 山梨の水晶産地
甲斐の水晶といえば、連想されるのが金峰山であろう。山梨の水晶産地は主に金峰山を中心とする関東山地と証する地域に集中している。甲府市北部から遠く武・信・上の三州にわたる広大な地域を占め、その最高点は金峰山(二五九五メートル)で朝日岳、甲武信岳等の二五〇〇メートル以上の高峰によって信・武と境をなし、笠取山から南走して甲府盆地の塩山に終わる支脈で国師岳から南西走して甲府市に終わる支脈。この間の谷間は笛吹川、金峰山より南西走するものは、茅ヶ岳とその裾野の竜王で終わる。この脈間に荒川を画し、御岳昇仙峡の絶景をつくり、花崗岩風景をあらわ露す。
金峰山より主脈は西走して横尾山に至り、一支脈の西南に派出するものがある。前支脈との間に塩川を涵養する。このように金峰山を中心にして集中しているのであり中でも甲府市黒平の向山坑から東山梨郡牧丘町の倉沢抗(乙女鉱山)、須玉町比志の押し出し抗は古くから透明良質の水晶を多く産出している。
金峰山麓での水晶の発見は天正三年(一五七五)で、今より約四百年前のことで、ちょうど武田勝頼が三河の設楽原(しだらがはら)で織田、徳川の連合軍に大敗した年であり、武田家滅亡の第一歩を踏み出したいわゆる長篠の戦いのあった年である。
伝承によれば水晶を発見したのは険しい山道を金峰山奥宮(甲府市の金桜神社は里宮)へ登山した行者だといわれているが、これを裏付ける資料はないが、甲州水晶の産地は金峰山を中心とする一帯地域で、金峰山には各所に露出した水晶が見られたであろうと文献に記述されている。
『甲斐国志』には、水晶は水精とあり、要するに書く水晶産地の山岳地帯を源流とする各河川の流水の流水が、あたかも清くすんだ透明の水晶からにじみ出た水の精のようであったことから「水精」としたものと思われる。
天正年間の織豊時代は、水晶採掘の制限はなかったと思われるので、自由に採掘しそのままきれいな石として珍重されたものといわれている。水晶の採掘が禁止されたのははっきりしないが、『銀山旧記』によれば、戦国時代には金銀の鉱山をめぐり豪族間に猛烈な争奪戦が行われたので、秀吉がこれを防ぐために鉱山奉行をおいて各地の鉱山を治め、財力をたくわえ、金張りの秀吉といわれるようになった。天下を掌握した家康もこれにならって金山奉行を設け、各地方の主要鉱山を直轄地としたことは有名である。
徳川家の金山奉行の大久保長安は、もともと武田家に仕え、武田家の財力に金山の採掘を開発して天下の武田と名を挙げたのも、大久保長安の鉱山技術であったからである。信玄によって開発された早川入りの保や、黒川千軒とうたわれた黒川金山(塩山市旧神金村)は有名であるが、黒川金山は真っ先に幕府直轄となって管理され、すべての山が幕府の方針によって、採掘や使用は一切禁止されたのである。
災害や自然崩落等により露出した水晶鉱石は幕府に届け出て後に払い下げられたようであるが、金峰山で発見された水晶が、これが最初であるという。 金桜神社の宮司のお話によると、金峰山の山頂に奥宮があり、医薬、禁厭(災難よけ)の守護神として、すくなひこのみこと少彦名命が鎮座され(二千年前)本宮となし、千五百年前に金峰山より御祭神を御岳に遷祀して里宮とし、数千年前より日本国中にその名を知られ、里宮から置く宮へと山岳信仰の盛んな江戸時代には特に行者の登山が多く、金峰山の水晶は、行者によって発見されたことは前述のとおりである。
金桜神社の社宝、火の玉・水の玉は有名である。「火の玉」は径一寸三分、径一寸の茶色透明の二個で、「水の玉」は径一寸強、径一寸、径五分の白色透明の三個で、あわせて五個の銘玉であるが、拝見させて頂けなかった。この玉は京都の玉造りに加工させたという。年代はつまびらかでない。
金桜神社から清川筋へ出る左折れの小さな峠の下り道がある。三十五年ほど前は土道で、水晶の破片が所せましと敷き詰めたように散乱していたのを思い出したが、今は全面舗装となってその面影はなかった。甲府方面へ水晶を搬出した主幹道であったと思われる。
甲府市黒平町上黒平の長老を訪ね、水晶の話を聞くことができた。その人は水晶研究科の藤原育弥さん(八十二歳)で明治時代より亡父が水晶原石の採掘を専業としており、大正時代に入り、父子で採掘の仕事をしていたという。「御岳千軒」という昔からの言い伝えについて藤原さんは、金峰山は古くより日本の三代御獄信仰霊場であり、多くの信者の登山があった。一五七八年(天正六年)金峰山から水晶が発見され、採掘工、加工職人、運搬人、それらを商う商人と人の交流が盛んになるにしたがい、日用品販売の商店、食堂、旅館、土産品店が軒を並べ、往来は盛大を極め、一時御岳町の沢沿いに千軒くらいの集落があったといわれているという。
黒平の水晶抗は、藤原さんの家の正面で南の山、県有林にある向山抗は、前述した鉱山を目前に見ることが出来た。しかし歩くと二時間はかかるという。明治四十年まで盛んに採掘されていたが、明治四十年前後の台風、水害による崩壊がいちじるしく採掘中止の状態となった。それ以後は先代とぼつぼつ、昭和二十年の終戦まで掘っていたが閉山したという。
向山抗(甲府市黒平町)の水晶の原石は、長さ三尺(約九〇センチ)のものが最大というが、これについては面白い話をきくことができた。採掘方法はたて穴式で、大穴方式といい、井戸彫りのように約一〇〇尺(約三〇メートル)もたてに掘り下げるため、鉱山を引き上げるのに村民が総出動して作業に従事したので別名村堀りといっていたそうである。
そのために三尺(約九〇センチ)以上の原石は危険なために穴の中に残して置いたそうである。採掘すると大きな原石のみがごろごろしているというのである。そこは今、水源凾養のため山地の崩壊の危険により手はつけられないままであるという。

水晶五重塔

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