水晶物語

水晶の原石が発見されたのは天正三年【1575年】と言われ、金峰山で発見されたのが最初で、当時は珍奇な物として、晶族のままで愛されたに過ぎなかった。

水晶が初めて加工されたのは、徳川時代の享保年間である。

 

昇仙峡金桜神社の神主が、神祇官領の免許をもらうため京都に赴いたとき、献上品として水晶の原石を持参し、その中の原石を都の玉造理に加工させたものといわれ、当時加工した二つの玉は、現在金桜神社の宝物として秘蔵されている。

 

天保5年(1835年)京都の人、玉屋弥助が昇仙峡を訪れ、金剛砂を使って包丁や●板上で、水晶を磨くことを教えこれを伝えた。

この水晶の美事さに、甲府の人々も、郷土人として自ら加工する熱意にかられた。

これが山梨県水晶加工業の起こりである。

 

 

産業として、山梨の水晶の始まりは、明治政府になり、鉱山法が交付されるに及んで、明治10年ころから激しい発掘が行われるようになりました。

 

水晶加工具の発達

水晶加工業も、水晶加工道具の改良発達によって、山梨県独自の工業としての基盤を形成した。

明治7年、藤村県令が県の勧業場の中に水晶加工部を置き、水晶加工技術の伝習につとめ、さらに伝習生のうちから長田一太郎を、技術伝習のため支那に派遣するなど、積極的に支援したので、この時代には多くの加工技術者が生まれた。

例えば、水晶印刻については長田寄峰、細工場土屋松翠、土屋宗翠、煙パイプ塩入次郎吉などの名工が輩出した。

 

また、原産地の御岳の名工が甲府に移ったので、この頃(明治20)から、甲府に水晶加工業が勃興した。

また、23年には、玉泉堂九代目土屋愛蔵が、若狭から職工伊之助を招いて、原石●割法を創案し、水晶加工法に改良を加え、またこの時代に手塚正次がメノー細工師を若狭から呼び、コマ磨法をはじめたので。加工技術は一段と進歩した。

 

水晶カットを創始した水本京三が甲府に来て『水本磨』で名声を博したのは、明治29年のことである。

孔明けの丸、小玉もこの頃内松徳次郎によってはじめられ、数珠、根掛けなどに応用され、かくして、水晶加工業は新技法の創案で生産も向上した。

 

 

■明治365月の中央線の開通により、山梨県の商業取引は全国的に拡張した。また、電話は明治383月、郵便は明治3910月交換事務が開始された。

 

水晶印の通信販売

明治後期になると、県産の水晶原石が減産しはじめたので、業界では水晶原石の全国的な買い漁り競争がはじめられた。

しかし、この時代は加工技術が進歩し、加工にも機械化が行われた。

精美堂の輿石勲が百石町の原正に、足踏式円盤の製作を依頼し、平摩より円盤摩への革命的な加工法の研究を始めた。

この研究に石原宗平が助成してこれを完成した。この機械も最初は製板鋸式で能率が悪かったが、のち改造し、縫軸式とした。

さらに、石原氏は電力を使用して、これを平円盤に応用することを考え、これに成功した。

ついでに、和田平町の土屋が水晶細工加工『コマ磨法』に動力の使用をはじめた。

研磨用カーボンランダム使用は44年頃から平岡頼章によって取次販売が行われ、これを研磨加工に利用するようになり、加工能率は一段と向上した。

この頃の加工品はステッキの握り、根掛指輪、クシ、風鎮、置物であった。

 

水晶に通信販売による販売方法がとられた最初は、明治36年、石原宗平氏によって甲斐物産商報が創刊され、この商報によって、全国各地との通信販売がはじまった。

また、一方この時代、明治水晶印の印刻業も盛んになり、多くの名匠が生まれた。

当時、水晶印材の加工は甲府をはじめ峡南方面でも盛んに行われ、水晶印材の行商も芽生えた。

 

 

■明治445月には、中央線の全線東京名古屋間が開通、これは山梨県交通上に一大変革をもたらした。また、乗合自動車も出現し、鉄道、貨物の輸送体系が出来合った。

 

大正8年頃、水晶製品は県産原石の減少で憂慮されたが、ブラジルから大量の原石が輸入され、業界は原石の確保と加工技術の向上で、生産が上がり活況を取り戻した。

 

水晶の原石を輸入

県産水晶原石の激減から、朝鮮産原石の買いあさりが行われたが、これも大正初期には底が見え、水晶加工業界の前途は憂慮されていた。

たまたま大正4年東京両国の薬種問屋高木与兵衛宛てに、ニューヨークの宝石商から、ブラジル産の水晶の見本が送られ、甲府に紹介され、それが動機となってブラジルからの原石の輸入がはじまり、沈滞した業界は一挙に昔の活況をとりもどした。

 

これより先、大正5年頃、水晶で首飾りをつくって米国に輸出したところ、期待以上の高評を博し、盛況を呈した。

従って、ブラジル水晶の輸入は、業界の難問を一挙に解決したわけで、米国向き首飾りはクリスマスの贈り物として、その後外貨獲得に貢献した。

 

水晶加工技術は大正56年頃、石原巌によってレンズの機会磨が考案され、水晶の眼鏡が能率的に生産されるようになった。

また、石原はこの時代水晶切断機に電力を応用し、水晶加工の分業化を促進させることに成功し、加工工程は能率化された。

この加工工程の分業化は、置物の彫刻技術にも大いに進歩発達をもたらした。

 

大正5年の水晶加工業者は百六十戸、従業員男615人、女30人で、年産額は二十余万円であった。

 

 

■昭和2年の経済恐慌は、山梨県の工業にも大きな影響をし、67年ころから財界好転助けられ、ようやく活況を見せるようになった。13年頃、水晶、メノーの生産地は甲府市、西八代、製品は首飾り、■、彫刻品等、生産1,26千円、工場数146、従業員数662人。

 

 

新研磨工業の勃興

昭和初頭は首飾りを中心に、水晶加工の産額は激増し、4年には200万円を突破した。

水晶首飾りの海外飛躍は必然的に輸出統制の必要が叫ばれ、工業組合組織の運動が起こった。

そして、65月、山梨県水晶工業組合の設立が認可された。この組合が本県最初の工業組合である。

 

水晶細工品の種類も、この時代には従来の細工品の外に、文化的装身具類にまで進出し、種類も多く、その範囲も広くなり、カフス釦、パイプ、ネクタイピン、帯留め、指輪、耳飾り、腕輪など、多品種の加工をはじめた。

 

水晶加工の技術では水晶穴アケ機のほか、米沢良知氏によって噴砂テン刻機が発明された。

このほか山梨高等専門教授加納直綱氏による、水晶着色法の発明など、特筆すべき考案が生まれた。

また水晶の変色研究が盛んに行われ、深沢健次氏は二枚の水晶を着色し接合剤で貼り合わせることに成功した。

 

水晶の海外飛躍は僅か34年で終わり、昭和の世界的不況と流行の変化で、昭和8年下期から米国輸出は不振となり、その後生産額は減少するばかり、日華事変にはいってからは貿易統制が強化され、原石の輸入は停止状態となり、ついに減産を余儀なくされた。

 

原石の水晶の減少に対処するため、業界は水晶加工技術を基礎として生かすべく、新しい素材の研究をはじめ、なかには硝子を主材料に、硝子研磨に転向する者が多くなり、ここに新しい研磨産業として勃興した。

昭和14年、甲府市伊勢町に興亜光学工業()が設立され、精密機械を以て光学レンズの生産をはじめたことが、水晶業界の研磨工業への転換の契機となった。

 

水晶加工技術と併行して発展したのは、メノー製品の加工である。従来は本県加工業者は『火入れ』した原石を、若狭から移入し加工していたが、昭和56年ころ、メノーの着色を考案し、メノー細工に新生命を切り拓いた。

この成功で、以来北海道から生メノーを移入し、加工するようになり、メノー加工業は急速に発達し、メノーの本場若狭をしのぐ隆盛ぶりを見せた。

なお、昭和67月に来日した、ブラジルの経済使節団が、甲府市内の水晶工業の現状を視察、甲府市独特の進んだ水晶研磨技術に、驚きの目をはり、水晶加工業者の、水晶原石の円滑な取引についての要請に快諾してくれたので、以後水晶原石の輸入は、極めて順調に進んだ。

 

 

 

■配給強制が強化、軍需品一本やりの工業、昭和14年末ころには、陸軍海軍関係の工業及び民間会社から水晶加工品などの受注を見るに至った。

昭和1612月、太平洋戦争の勃発後、軍需生産の拡大で、その煽りを食って一時は生産が増大されたが、それを頂点として、その後生産額は激減した。

■戦後、昭和30年には、水晶1億千万円輸出という数字がある。

 

戦後の物語

水晶産業は、戦後、4つの大きな流れを生むことになります。

   印章産業

詳しくはmotegi-kk.comサイトの『印信』にあるので一読してください。山梨の印章業界の歴史を垣間見る事ができます。

   宝石研磨産業

宝石研磨は、原石をカットし,磨き上げる工程の事であり、宝石を美しく仕上げるために最も重要な技の一つです。

   貴金属加工産業

貴金属ジュエリーの原形の製作から鋳造、仕上げまでを含む作業です。②と③をベースにした産業を、ジュエリー産業と呼び、全国の三分の一の生産量を誇ります。

   水晶美術彫刻産業

水晶美術彫刻とは、水晶に繊細な彫刻を施す技です。原石に下絵を描き、形を整えていく、伝統的工芸品です。

 

なお、詳しくは、水晶宝飾史 甲府商工会議所発刊に詳しく掲載されております。当サイトではプログに順次掲載していきます。

水晶五重塔

モテギ株式会社 
〒400-0858  山梨県甲府市相生2-10-12
営業時間 10:00〜16:00 定休日:土曜・日曜・祝日・年末年始・盆休み ㊟予約をいただければ対応いたします。

Tel.070-2019-9500 蔵六(留守電に用件を入れてください)FAX:055-232-1226

この地図の上で右クリック → 「Google Maps」 → 「プロパティ」で、住所や吹き出しコメント、地図下のこのコメントを編集します。

  • 甲府駅より徒歩15分くらい
  • 甲府南インターより10分くらい
Copyright (C) 水晶県やまなしドットコム All Rights Reserved.